16話)
(今日は昼から時間が取れるわね・・。)
そう思うと、ニンマリとなるのはどうしようもない。
部屋で何をしようと考えながら、レセプションの催しに参加していた茉莉は、自然な笑顔で入れ替わり立ち替わり話してくる人たちと、社交的な会話を楽しんだ。
自分の役目が終わりと判断すると、一目散に河田邸に戻って、車を走らせる。
駐車場に車を停車させて、マンションの中に入る。部屋の前まで来ると鍵を差し込んだ。
ゴージャスなスーツを着こなした茉莉を迎えた部屋は、以前出て言ったままの状態で少し埃がたまっていた。
「一週間ぶりだったものね。」
一人言を言って、廊下を歩きながら上着やシャツを脱いで、スカートをストンと床に落とすと、脱いだ衣服をハンガーにかけてゆく。
ネックレスや指輪。ピアスもすべて取って、鏡台の前にある宝石箱に入れた。
里中真理は、こんな高価な装飾品を持つことができないはずだから。
オートクチュールのスーツもしかり。
下着姿になった茉莉は、知った顔でタンスのある部屋に入ってゆくと、中からGパンとTシャツを取り出す。
近所のショップで手に入れた品物だ。
全部で3万円にもならない。
服を着た後は、続いて脱衣所に向かい、洗濯機を回す。
そして濃い目に化粧されたモノすべてを取り除くべく、洗顔をはじめた。
洗面台でジャバジャバ洗ってさっぱりした後、髪の毛を後ろで一まとめにする。
茉莉の顔立ちも髪の毛も、それだけでゴージャスな雰囲気をまとったものだけに、一般人に紛れるためにはフンワリと舞う髪は押えて一まとめにすれば印象が変わるからだ。
服を替え、化粧も取って、髪型も一括りにした後、伊達眼鏡までかけた。
そして、鏡の前にたったマリは・・・。
茉莉ではなかった。
別人のように変わっていた。
“真理”になっていた。
ぼんやりと佇む自分の顔に、ホッとなるような笑顔を向けて、
「さあ、一週間ぶりの掃除だわ。」
自分で自分に言って、パンと頬を叩くと気合をいれた。
掃除と言っても、一人で気ままな生活だ。適当に掃除機をかけ、モップをかけると終了だ。
夕飯は何にしようと考えながら鼻歌を歌い、小さな金庫から札を数枚取り出すと財布に詰める。
手に取ったバックも財布も、ここで新しく購入したものだ。
「簡単な煮物でいいかな?」
ここにいると一人言が多くなる。
それでもご機嫌な真理は扉を開けて施錠すると、マンションを出てゆくのだった。
誰にも知らない?(里中真理本人だけにはさすがにバレていたが、個別に口止め料を払って、誰にも言わないようにしてもらっていた)・・ひそやかな楽しみだった。
これは等身大の“こっこ遊び”なのだ。
スーパーで買い物を済ませると、夕方になっていた。
マンションのすぐ側に公園があり、買い物を済ませた後は、なぜだか立ち寄る習慣がついてしまっていた。
イスに座って、子供達が遊ぶ姿のボンヤリと見る時間も、オツなものだ。
西日が照らす景色は、真理をなんとも言えない気持ちにさせた。
失くしてしまった貴重な時間を、思い出させてくれるような・・・そんな切なくなる気分とともに、公園から見える街並みに住む、たくさんの人達の伊吹を感じさせてくれる外の空気が、単純に好ましいものだった。
スーパーの袋の中味が悪くならない程度に、真理はのんびり景色を楽しんで、そろそろマンションに帰ろうと、腰を浮かせかけたその時、
「何を考えているの?」
と、耳元でふいに声がかかるのだ。
ビクッとなって振り返り・・・姿を認めて、ひっくり返りそうになる。
すぐ横に、いる筈のない人が立っていた。
言葉がでない真理に、クスクスと笑った彼は、
「いつもここでボンヤリしてるだろう?何を考えているのかなあなんて、不思議に思うんだよ。」
歩だった。
午前中レセプションに参加した、そのままの格好だった。
上等なスーツをパリッと着こなした姿の彼は、公園の中にいると、とても浮いてしまっている。
それよりも・・・。
(なぜここにいるの?)
だ。
真理の疑問も言葉に出なかった。すぐさま逃げようと駆け出そうとする真理の手を、サッと捕えて逃げれなくしてしまうと、
「あれ?これからご飯でもつくるの?」
手を捕えられたせいで、すぐ側に歩の瞳があった。真理の手に握られたスーパーの袋を認めてのコメントらしい。
彼の瞳は踊っていて、とんでもなく面白がっている風。
「あの・・離して・・。」
小さく呻く真理に、歩が首をかしげる。
「じゃあ名前を聞かせてくれる?俺は河田歩。君の名前は?」
聞いてこられたコメントが、また信じられないものだった。
歩は、ひょっとして自分が河田茉莉だという事に気付いていないのだろうか?
(・・・・この人・・こんな場所でもナンパしてるの?)
そう思うと、スーと何かが覚めてゆく。
茉莉だとバレていないのなら、何とでも嘘をついて、彼から離れることができるはずだ。
息を飲んでから、真理はこう言った。
「・・・里中真理。」
「・・・・。」
答えた真理に、歩は何もいわなかった。
探るような、真意をはかるかのような、深い瞳で見返してくるのだ。
彼はわざとカマをかけたんじゃないかと思った瞬間、ゾッとした感覚に震えが走って・・・。
「里中真理・・ね。」
軽い息を吐いて歩は言って、手を離してくれた時。歩は真理の言った事を、とりあえずは受け入れた?感じにも見えてホッとなる。
「俺達の初めての出会いに乾杯したいんだけど、どう?」
言われた言葉の内容を、理解した瞬間。
「えぇー!」
思わず大仰にのけぞって小さな叫び声をあげる真理に、歩までビックリした顔になるが、すぐにも冷静な目付きで見返してくる。
「ダメなのか?。」
と、ささやいてきた歩の表情は・・・。
全然読み取れなかった。
けれどこの瞳は、いくらなんでも初対面の女性に対する瞳では、ないような気がする。
(やっぱりバレている?)
・・・どこまでバレている?
公園で一服していた所のみ?それともマンションを借りて生活しているすべてを???
そうだとすると、とても恐ろしい話だった。
ただでさえ茉莉に対する対応が厳しい歩だ。
妻が夫に隠れてコソコソ“隠れ家”的なマンションで住んでいるなんて知れたら、どれくらいなじられるか分からない。
これを理由に、離縁をちらつかせられたら・・・。
とても茉莉には分の悪い話だった。
高野の家に合わす顔がなくなってしまう。
「今夜のおかずは家で食べる予定だから・・。」
自分でも愛想笑いの笑顔になっているのが分かる。
ハハハッと、ぎこちない笑みを浮かべて、やんわり断りの意味を込めた言葉を返すと、
「じゃあ、マリの家で御馳走になろうかな?」
なんて言ってくるので、絶句する。
固まったしまった真理を見て、さすがに言い過ぎたと思ったらしい。
「ウソウソ。晩御飯を作る前の、ちょっとの時間もダメかい?」
切なげな歩の表情。ほとんど懇願に近い瞳を見せつけられて、真理はさすがに断りきることが出来なかった。
これが歩じゃなかったら、サッサと逃げ帰っていただろう。
歩だったとしても、ただのナンパで声をかけてきたのだとしたら、難なく断る事ができただろう。
けれど、事態を疑っているかのような素振りが見える限り、歩のご機嫌を損ねて“離縁”のカードを出させるわけにはいかなかった。
ヒヤヒヤ。ドキドキする胸を抱えて、
「それくらいなら・・。」
と答えた真理に、歩はとても嬉しそうな顔をする。
一瞬、結婚する前の歩に戻ったかと錯覚するくらいの表情だった。